ムロブロ。

21歳女子大生が自分の好きなことを徒然なるままに書きます。

質問攻めするひとは、人に「問う」前に自分で考えているのか?

どうも、ムロです。

 

Twitterで、こんなツイートが回ってきた。

https://twitter.com/MuneOiz/status/985352153530118144

 

たしかに最近、人に「問う」ということに対して無神経なひとが多いのではないかと思う。

年上の人々に対して特に思うことだが、とりあえず「なぜ」と問うひとが多い。

 

「なぜ」と問うことは、本質的なことを考えるためには重要なこと。

だからこそ、言語化して回答することは難しい。

それを回答できないことをいいことに、マウントをとろうとする人が多すぎる。

まるで「まだまだだね、考えが足りてないよ」と一方的に切り捨てるかのように。

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たしかに考えが足りていないから、相手が納得できるような回答ができない。

でも、そのマウントをとっているひとたちに同じ質問をしたら、どうなるのだろう。

わたしたちが納得できるような回答をもっているのだろうか。

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会話というのは、キャッチボールだ。

ただ「なぜ」と繰り返すのは、その人が取れないとわかっている速度のボールをただその人のいる方向に投げつけているだけだ。キャッチボールをすることを放棄している。

 

せめて自分なりの仮説をもったうえで質問するのが礼儀ではないだろうか。

また、本当にその人の考えなどを知りたいと思えば、仮説をもったうえで相手の考えを引き出すような質問をすべきだと思う。相手のとれそうな球速にして、相手のとりやすそうな位置にボールを投げてあげる配慮が重要なのだ。